七高僧

七高僧
 
親鸞は、徹底して教主世尊の教えに信順し、本願名号に帰入して、そのいのちを明らかにした仏者七人を浄土真宗の祖師として選んだ。
それが、龍樹・天親(インド)、曇鸞・道綽・善導(中国)、源信・源空(日本)の七人である。
仏教史上にあらわれた多くの高僧たちのなかから、真宗の祖師として、とくにこの七人が選ばれた理由については、古来、三つのことがあげられている。
第一の理由は、それぞれに浄土の教えを讃仰(さんごう)した著書があり、それが広く読まれているということである。
この著書によってそれぞれの自覚内容を明らかに知ることができるからである。
第二の理由は、浄土の教えについて独自の領解があるということである。これによって七祖は、それぞれに真宗の豊かな内容を、たがいに照らし出しあうように明らかにしているのである。
第三の理由として、浄土の教えに帰して、本願を信じ、念仏するということにおいて一致していることがあげられている。
このように、信心を要とする浄土真宗は、七祖一人ひとりによってすでに明らかにされていた。
七祖は、ともに如来のまことの願いに帰して、真実の仏道を行じた仏者であり、自己一人の救われる道を本願の教えに見出し、真摯な態度をもってそれを生きた人たちであった。
親鸞は法然と出遇うことによって、法然の背景に本願の仏道の歴史を感得(かんとく)し、七祖の全人格をとおして如来の恩徳を仰いだのである。
  
龍樹(りゅうじゅ)(ナーガールジュナ)(150~250年頃)
 
南インドに生まれる。
青年時代、快楽の限りを尽くす生活を送っていたが、それが苦悩を生み出すもとであることを思い知らされ、出家して仏道に入った。
絶えざる求道によってその教学を確立し、「中道」をもって釈尊の精神を明らかにしている。
主著は『十住毘婆沙論(じゅうじゅうびばしゃろん)
 
天親(てんじん)(ヴァスバンドウ)(300~400年頃)
 
西北インド、ガンダーラ(現パキスタン)に生まれる。
世親ともいう。
小乗の教えに固執していたが、大乗の道理を、兄によって諄々(じゅんじゅん)と説かれ、煩悩をそのまま涅槃に転じようとする大乗の教えに帰した。
自我の執心の深いことを自覚し形成された天親の思想は、唯識教学とよばれている。
主著は『浄土論』(往生論)
  
曇鸞(どんらん)(476年~542年)
 
中国、五台山の近くに生まれる。
長生不死を願っていたが、はからずも菩提流支(るし)と出会ったことで、自分の迷執(めいしゅう)が破られ、改めて仏道の心に目覚めた。
外道に迷っているのが人間の現実であるが、その迷いにまともに向かいあって、そこから如来の願いに生きようとした人である。
主著は『浄土論註』
  
道綽(どうしゃく)(562年~645年)
 
中国、幷州汶水(現山西省)に生まれる。
玄中寺にて曇鸞の碑文を読み、深く信を発して浄土の教えに帰入した。
龍樹の「難行・易行」の二道、曇鸞の「自力・他力」の教判を受けて、一代仏教を「聖道門・浄土門」の二つにはっきりと分けた。
この決判は、真実の仏道の開顕であり、末法濁世に生きる人間としての深い自覚に立つ仏道の選びとなった。
主著は『安楽集』
 
善導(ぜんどう)(613年~681年)
 
中国に生まれる。道綽に出遇い、親しく『観経』の講説を聞き、経の深い意味を知って阿弥陀仏の本願に帰依した。
『観経』の三心、すなわち、至誠(しじょう)(しん)深心(じんしん)回向発願心(えこうほつがんしん)の教えを最も大切に聞き取り、それを注解して、この三心に往生のあゆみがあることを明らかにした。
主著は『観経疏』
 
源信(げんしん)(942年~1017年6月10日)
 
現奈良県の葛城市當麻(たいま)に生まれる。
7歳で父と死別し、13歳で出家。
濁世末代の凡夫の自覚に立てば、釈尊一代の教説も先師の論釈も、すべて帰するところ念仏一門の広開にあったと領解し、一切の人々が念仏の一門に帰すべきことを勧めた。
主著は『往生要集』
 
(げん)(くう)(ほう)(ねん))(1133年~1212年1月25日)
 
現岡山県の津山市に誕生。
父の遺言が縁となり出家。
親鸞が師と仰いだ法然は、仏道の要は「ただ念仏」にあるということを明らかにした。
念仏往生の願のこころを明らかにするにあたって、如来はなぜ念仏をもって往生の道とするのかという問題を提起し、これに答えることによって、仏の深いこころを開顕した。
主著は『選択本願念仏集』