第一回 「出会い お寺で婚活」

12月5日土曜日、第一回「お寺で婚活」が開催されました。ご協力、ご支援くださった皆様ありがとうございました。おかげさまで和やかで楽しい会となりました。
これを皮切りに、青壮年とのお付き合い、交流を深めるべく今後とも若い方へ向けての活動を続けていきたいと思っております。

 さて、第一回「出会い お寺で婚活」ですがなんと三組のカップルが誕生しました!私もこの結果には驚いたのですが、それ以上に「楽しかったです」というお声を多くいただけたことが何より嬉しかったです。もちろん反省点も多々ありますのでそこはしっかりと見つめ直し、次に活かしていきたいと思います。
 
目玉の一つ、腕輪念珠作りですが、これが大好評でした。10種類の珠の組み合わせからオリジナルのものを作ったのですが、これが一人で作るには難しい、しかしみんなで力を合わせればできるかも。といった具合で、初対面の皆さんが力を合わせ協力し合いながら作るという、素晴らしい雰囲気であったと思います。どうぞこれから身に着け大事にしていただきたいと思います。

 その後の1対1のトークタイムは皆さん緊張の中、色々な話をしていました。予想していたよりも盛り上がっていて驚きました。

住職のプチ法話中は静かな空気の中、皆さんしっかりと耳を傾け聞いていました。
「思い当たる節があった」「これから心がけていきたい」など皆さんの心に響いたものと思います。

 食事、懇親会も美味しいイタリアンとお酒で会話が弾んでいるようでした。しかし、意中の方とお話するのが難しかったという意見もありましたので、そこは次回改善できるよう努めたいと思います。

 参加して下さった方には門徒さんもいれば、門徒さんの友人、ご近所の方など様々ですが、お話をする中で仲良くなれて良かったです。今後もお寺に来ていただきたいですし、食事に行ったりしましょう。二次会にも参加していただきありがとうございました。私どもにとっても楽しいひと時でした。
 
残念ながら今回は参加できなかった方、次回は参加してみたいなと思う方、第二回目は4月23日土曜日に決定いたしました。ご応募、ご参加お待ちしています。その前に寺コン(どなたでも参加できる飲み会のようなもの)を2月20日土曜日に開催いたしますのでこちらもぜひご参加ください!詳細は決まり次第掲載いたします。
佐々木 健太

ラジオ出演

ご報告、更新が遅くなってしまいましたが、11月14日東京都江東区の木場駅近くのスタジオ、レインボータウンFM「Emotional Beat 姫ラジ」(毎月第二、第四土曜日16:00~17:00放送中)にゲストとして出演させていただきました。
 女優の柴田かよこさん、環みほさん。お笑い芸人のデニス松下宣夫さん。歌手のまついえつこさんとトークをさせていただき、「出会い お寺で婚活」の宣伝。僧侶、お寺について色々と質疑応答していくという内容でした。
「お肉も食べるし、お酒も飲みますよ。」といったことをお答えしたところ皆さん驚かれていたのが印象的でした。
やはり多くの方のお坊さんに対するイメージは、剃髪をしている、厳しい修業をしている、精進料理を毎日食べているといったものなのかなと思いました。もちろん実際にそのような方もいらっしゃいますが、私ども真宗の教えは違います。世の人すべてが厳しい修業をできるわけではありません。出来ない環境の人もいますし、途中で挫折する人もいるでしょう。そんな私たちだからこそ南無阿弥陀仏の六字が与えられているのです。自分自身が何に喜び、何に迷っているのか。そしてそれは真実なのかを南無阿弥陀仏の教えの中で確認していく。それが私たち真宗の歩みである。そういったことも、もっともっと発信していかなくてはならないと感じました。
 また、普段中々お話しすることができない、タレント、お笑い芸人、歌手の方ともお話しすることができ色々と刺激をいただきました。やはり皆さんお話をするのが大変上手でとても楽しい時間を過ごさせていただきました。姫ラジの皆さん、どうもありがとうございました。これからの皆様のご活躍、応援しています。

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佐々木 健太

平成27年 報恩講 法話ダイジェスト

法話 横浜組西教寺 靍見 美智子師
今回靍見先生にお話をしていただくにあたり、住職が手紙を送ったそうです。その内容に沿ってお話ししてくださいました。手紙の内容は以下のものです。

『最近私は、安心という言葉によってかえって惑わされるようなことを感じています。もちろん人それぞれの五感で使われる安心という言葉ですから、様々な使いようがあるのだと思います。しかし、こうなったら安心できますね、と言われる世間の安心と、どうなっても安心です、と頷けるような仏法の安心には同じ言葉を使っていても大きな隔たりがあるように思います。その中で、門徒も寺族も何かはっきりした安心の歩みが得られずに、うやむやにしてごまかしているように思います。』

安心というのは分かる様であやふやです。不安の一つの要因として【変化】があります。しかし、変化していくのが嫌なのではありません。自分にとって都合の悪い変化が嫌なのです。掴みどころがない安心を求めているのが私たちです。安心をはっきりさせるために、まず不安をはっきりさせたいと思います。
不安は人間だけが持っているものなのか。野生の草食獣は肉食獣に食べられる不安をいつも抱いているのか。そうは見えません。追いかけられたときに恐怖はあるでしょうが私たちの不安と同じようには見えません。では、リスはどうだろうか。冬に向けて食料を地に埋めておくのは冬に食料を得られなくなる不安からだろうか。きっと違います。長い年月の中でリスが培ってきた習性のようなものだと思います。どちらも私たちの不安とは違うように思います。では私たちはどうでしょうか。
増税、年金、老後、歩けなくなること。自分の生活に関わることが不安となるわけです。
お釈迦さまが出家された理由は老病死という変化への不安です。しかし、お釈迦さまは老病死をなくす方法を見つけたのではありません。悩み苦しみのもとを見つけたのです。それは、生きるということは縁を受けて変化し続けるということです。全ては縁で成り立っている。私の身体も一分一秒ごとに変化しているということです。
たまにこういう話を聞きます。
「悪いことなんて何もしてないのにどうしてこんなことに。」確かにそう思うこともあります。しかし、全ては縁の催しなのです。
大切なのは二つ。一つは、病気になることが平気、安心ということではありません。その事実を受け入れる力をいただくのです。こういう縁をいただいている。これが事実なんだと受け入れる力です。
二つ目は、身体がどうなっても、どんな状況であろうと天下唯我独尊であるということを忘れないでください、ということです。
世間では、できることが少なくなっていくと人間としての価値が下がっていくような感じがありますが、決してそうではないということです。いのちがある限り何にもかえることができない尊厳があります。自分を見捨てたり、諦めたりすることはとても失礼なことなのです。
また、私たち人間は二重構造です。生まれてきた時のいのちそのものとしての自分。もう一つは色んな経験をして作り上げられた思いとしての自分です。その経験が生まれてきた時のいのちとしての私を覆ってしまい、いつの間にか初めにあったいのちそのものの願いを忘れてしまっているのが私たちの今の姿です。苦しみや不安は、他でもない私自身の思いから生じているのです。出来ないことは悪いこと。そう思いがちです。しかし、そもそもそれが事実ではないのです。悪いことであると思い、苦しんだり、不安になるのは自分の心の問題なのです。善悪の二つに分けること自体がそもそもの間違いであると仏教は教えます。善い、悪いではなくこれが私なんだと受け止めるところに仏教の安心があるのです。

「努力の結果はついてくる」というのが、私たちの考え方です。しかし、結果が出るのか出ないのかは縁次第なのです。そうにも関わらず、「どう結果が出るか」と気にしてしまうことが私たちの不安なのです。

「人事を尽くして天命を待つ」という言葉がありますが、ある念仏者は次のように言い換えておられます。
「天命に安んじて人事を尽くす」
何事も一生懸命取り組むことは大切です。しかし、その先の結果は私の力、私の計らいではどうにもならないことです。それを思い通りにしたいと思っているのが私たちの間違いです。どんな結果になろうと、それが私に向かってきたご縁だったと受け止めるところに本当の安心があるのではないでしょうか。

最後に全員で仏教讃歌「みほとけは」を合唱し法話が終了しました。

みほとけは まなこをとじて み名よべば さやかにいます わがまえに さやかにいます わがまえに
みほとけは ひとりなげきて み名よべば えみてぞいます わがむねに えみてぞいます わがむねに                             
                                      以上
ダイジェスト担当 佐々木