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平成27年 盂蘭盆会 法話ダイジェスト

今回は横浜別院から佐竹 大樹 師をお招きし、ご法話いただきました。
まず挨拶として、神奈川県の真宗大谷派寺院、ならびにご門徒さんの御懇志を賜り、本願寺横浜別院の本堂修復、庫裡の工事、そして宗祖親鸞聖人750回御遠忌法要を厳修できたことへの御礼の言葉をいただきました。
今回の750回御遠忌法要が勤まったというのは、讃嘆ということに他なりません。もっと分かりやすく言えば、親鸞聖人をはじめとし、お念仏の教えを今の私たちまで伝えて下さった先人たちへの感謝の心、歓喜の思いを形にして表現したということです。
そして、ありがとうございます。おかげさまです。このような喜びの気持ちを偈(うた)で表現することが正信偈をお勤めするということです。
本願寺横浜別院、宗祖親鸞聖人750回御遠忌法要のテーマとして
《今、いのちがあなたを生きている ~いまひらく ありのままのわたし~》という言葉を掲げました。
今回の話のテーマも《ありのままのわたし》ということでした。しかし、ありのままのわたしというのが難しい。ある先生は、ありのままのわたしとは仏になることです。と、おっしゃったそうです。
私たちは日頃から、自分にとって都合のいいことはこっちにきてほしい、都合の悪いことは遠くへ行け、というような、鬼は外、福は内の心を持っています。また、他人と自分を比べては、優越感を覚えたり、妬んだり、羨んだり、恨んだり、私なんか駄目だ、と思ったりしています。しかし自分自身にふりかかった問題、苦しみは自らで引き受けていくことでしか解決できないのです。嫌なこと、都合の悪いこと、苦しいことから逃げたり目を背けたとしても、必ず同じ問題が起こり続けていくのです。生老病死も逃れられない苦しみの一つです。生まれ生きていく苦しみ、老いていく苦しみ、病気になる苦しみ、そして死ぬ苦しみ。私たちの現実の姿は生老病死すべてから目を背けているのではないでしょうか。

ご恩おもえばみなご恩、わたしはご恩でできました。
ここでいうご恩とはご縁とも言えるかと思います。ご恩、ご縁をいただき続けてきたのが私たちではないでしょうか。良いご縁もあれば、嫌なご縁もあったはずです。しかしそのうちの一つでも欠けていたら今の私はここにはいないのです。いただいたご縁を生き、自分自身が私を担っていく。ご縁のままに生きていく。逃れられない問題、苦しみから目を背けずに自分自身でしっかりと担っていくことが仏道であり、ありのままの姿ではないでしょうか。

是非、お盆という大切な時間を、生きるということをしっかりと考え直すご縁にしていただきたいと思いますし、そのことが生老病死を身をもって示してくれたご先祖への感謝であり、今いのちをいただき生きている私たちの課題ではないでしょうか。

法話を受けての感想
昨年『アナと雪の女王』の主題歌が大ヒットし「ありのままの私」という言葉を多く耳にしました。しかし、世間一般で言う「ありのままの私」と、仏教での「ありのままの私」というのは異なっているような気がしています。
ありのままの私というと、「意のままに行動できる、誰にも自分を妨げられない。自分勝手に生きる。」このように考える人もいるかと思います。自分の思い通りに行動できたら悩んだりしないかもしれませんし、気持ちがいいかも知れません。しかし、思いどおりになる世界なんてどこにもありません。仏の教えとは、何でも思い通りにしようとし、自らのものさしで人や物事を計っている私の自己中心的な在り方を知らせ、打ち破る教えです。
命をいただきこの世に生を受けた時から、世界と共に、人々と共にいるのが私たちの事実です。そういう意味では私と関係がない人など誰一人としていないのです。それが事実にも関わらず、いつの間にか自分の思いを正しいものとして、世間を、そして他者を裁き、個人として生きているのが私たちの間違った姿なのです。
自分にとって良い人もいれば、嫌な人もいます。良いご縁もあれば、嫌なご縁もあります。しかし事実を見てみれば、良い縁も悪い縁も本当はないのです。全てがいただきものなのです。私たちが思うありのままの私とは個人としての私なのですが、実は個人とは私たちの思いの中だけの幻想なのです。仏教が教えるありのままの私とは、「みんないる中での私」です。
しかしながら、全ての人、全てのご縁を大切にすることはとても難しいことです。それほどまでに、私たちの個人としての思いは強いものです。しかし、嫌な人、嫌なご縁とも関係を切らずに、向き合い付き合っていくことはできるのではないでしょうか。嫌な人、嫌なご縁だと決めつけ、私の外の問題として今まで通り過ぎてきたことを、実は私の問題であったと気付かされ、担っていく力を仏の教えからいただくのです。そこに自分の思いでは見えてこなかった新たな出会い、発見があります。それが念仏の御利益です。
個人の思いに縛られ右往左往していた私に仏の教えが届くことで、「私も他人も共にいたんだ。みんな大変な場所を一生懸命生きているんだ。」という個人の思いを超えた世界が広がっていくのです。その世界こそが、私自身も大切にし、他者の苦労も一緒に担い生きていくという、本来のありのままの私たちの姿なのではないかと、思いました。

佐々木
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