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平成27年はなまつり 法話ダイジェスト

今回の遊林寺はなまつりの法話は、岐阜県高山市秋聲寺住職、森 三智丸 先生にお越しいただきました。
約一時間お話していただいた中で、先生が繰り返しおっしゃっていた言葉があります。
「頷く」という言葉です。
毎日の生活をしていくなかでも、いろいろな頷きがあるかと思います。誰かに何かを教えてもらった時の頷き、頷きたくないけれど頷かなくてはならない時の頷き、人の話を聞いている時の頷き、等まだまだたくさんあるかと思います。
しかしここでの頷きとは、
「本当にそうだったなー」というような、仏の教えに触れて気付かされていく頷きのことです。この気付きは自らの意思とかではなく、仏教を聞き尋ねていく中で仏から賜っていくものです。この気付きのことを親鸞聖人は回心とよんでいます。
生老病死をはじめ、様々な苦しみ、悩みを抱えながら生きているのが私たちです。仏教には一切皆苦という言葉があります。自分にとって都合の良いことも、良い条件さえ崩れていけば必然的に苦しみに変わっていってしまう。昨日まで楽しかったことが、次の日には苦しみに変わっていくこともあります。そんな世界を生きているのが私達の現実です。
では一体何を依り所として生きていったら良いのか。苦しみや悩みがなかったら良いなとは思うかもしれませんが、苦しみ、悩みはなくなりません。苦しみをどう引き受けていくか。どう受け入れていくのか。そこに仏教を聞いていくあゆみが開かれていくのです。私自身をかえりみて、自らは迷いの存在であるということに頷いていく。その頷きによって初めて仏の教えが私の上に照らされてくるのです。
あれをやれば幸せになれる、苦しみをなくすために努力をするといった生き方の方が積極的に生きているように思うかもしれませんが、現実として苦しみはなくなりません。それは一時的な安心感や自己逃避です。自らの力で直していけること、改善していけることももちろんありますし、大切なことです。しかしどうにもならないような問題も必ずあります。その問題をどう引き受けていくか。そこから仏道がひらかれていくのです。
「今という現実を捨てないでそこを生きていくことは、人間として最も積極的な生き方だと思います。」と先生がおっしゃった言葉が印象的でした。
『仏説阿弥陀経』のなかに
「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」(しょうしきしょうこう おうしきおうこう しゃくしきしゃっこう びゃくしきびゃっこう)という言葉があります。それぞれの色がそれぞれの光を出して輝いているという浄土の世界を表した言葉ですが、実は私達一人ひとりのことなのです。みんな違ってみんな良い。自分勝手であるとか、偉い、偉くないといった事ではなく、私達一人ひとりが尊い者であるということに頷き、それぞれの光を放っていくこと。
そのことこそ「天上天下唯我独尊」(私は世において一人として尊い。私一人だけが尊いという意味ではなく一人ひとりが尊い者であったということに頷いていく)という言葉なのだな、と改めて気づかせていただいたと同時に、はなまつりを勤める最大の意義であると感じました。

法話 岐阜県高山市秋聲寺住職 森 三智丸先生
ダイジェスト担当 佐々木
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