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平成26年法話の時間 法話ダイジェスト

私にとっての縁

 お寺では生まれていないこの私が、縁あってお坊さんとして、いま皆さまの前に立たせていただき、お話させていただいております。実は、本日をもって千葉のお寺へ行くことになりました。
千葉のお寺の住職には、両親の離婚が縁となって、近くのお寺という気安さもあって、母子共々折にふれてお世話になっておりました。小さい頃はお寺へ遊びに行くと、住職に大変可愛がられたのを覚えています。二十歳すぎて、定職にも就かず、先の見えない不安な日々を送っていた時、「佛教でも学んでみたらどうだ」と声をかけてくれたのも住職でした。普段、住職がお寺でどの様なことしているかは具体的には見る機会は有りませんでした。住職が何を学び、いまどんなことをしているのか、大変興味がありました。住職のご縁で、京都の大谷派の僧侶になる学校へ入学出来ました。これで少しは住職が何を学び、お寺の仕事がどのようになっているか知ることが出来るのだと思うと身が引き締まる思いでした。僧侶の資格を取ってお坊さんになるということよりも、授業の中身は佛教が中心ではあったが、その内容が新鮮で新しいことを学ぶことは、知らなかったことを知るという喜びで毎日の授業は楽しかったのです。卒業して僧侶の資格を貰い、お坊さんとなって以来、今日まで縁ということを実感することも無く、縁とは、学校で学んだ知識の中での諸法無我-世界との関係性と自分との関係性-とか、国語辞典での 縁 ①めぐり合わせ ②関係をつくる ③血縁的な家族のつながり ④人と人とのかかわりあい 等々つまり縁とは全てのものとの関係をつくるといった理解でした。あくまでも、知識での縁であったと思います。
ですが、今年は私にとって特別な年となりました。『縁とは、私を中心に広がっていくのではなく、私に向かって伸びてくる』という言葉が私に湧いて出たのです。日ごろ、「縁とは.....」と口にはしていましたが、縁が自分に向かって伸びてくるという具体的な事が、この五月を中心に立て続けに二つ起きたのです。そのひとつは、父の突然の危篤の知らせと、日をあけずしての父の死でした。
九才で生き別れとなって以来、十五年ほどの音信不通のなかで、子供ながらに、もう縁は切れたものと思っていた父の危篤の知らせが、母の古い知り合い経由で届いたのです。自分にとっての父は記憶から抜け落ち、その父が好きだったとか嫌いだったとかの感情もとっくにうすれて父の存在さえ無関心であったのです。まさに、思わぬ縁が私に向かって伸びて来たのです。取り敢えず病院へ見舞いには行きましたが、もはや言葉を交わせる状態ではありませんでした。ベッド脇のテーブルのノートの最後のページに私と妹へ向けて「あやまりたい、ごめんなさい」とだけ書かれていたのでした。その数日後、父は亡くなりました。通夜、葬儀はお参りすることができました。その後、しばらくして父の遺品整理をしました。お財布の隅に小さく折られたメモを見つけました。離婚当時の母の住所がしるしてありました。勿論、母はその古い住所には今は住んでおりません。それにもかかわらず、いろいろの知り合いを通して、母の元へ父の危篤の知らせが届いたことは、『私に向かって伸びてくる』縁の更に向うにも縁がつながっていたのだと縁の不思議に驚かされました。
ひと通りの整理もつき、別れたままであった父の死に接して色々と考えさせられる日々のさなかでした。元気であった千葉の住職の体調が急変して、取り敢えず検査入院して自宅で検査結果待ちとの知らせでした。後に検査結果を聞きに行った日、そのまま入院させられたとのことでした。ただの入院ではなく、医師より余命の宣告つきであったとのことでした。入院するまでは、お寺は住職一人で全てを切り盛りしていたようです。京都の学校の卒業を前にして、「お寺には手があるから卒業してもこの寺で働くことは出来ないよ。」との話でした。ところが、今回の住職からの話は、今すぐにでも手伝って欲しいとのことでした。またまた私に向かって新たな縁がもう一つ伸びて来たのです。ほんのひと月余りで、父の死を縁として、自分がすでに切れてしまっていると思っていた縁が、葬儀参列、遺品整理をとおして、自分の内面を見つめ直すきっかけかなと、思っているとき、さらに千葉の住職の願いで、住職入院中は一人で住職代りの仕事を引き受けるかどうかの決断を迫られることになったのです。こうしてほぼ同時に二つの縁に出会ったことは、昔の自分なら「嫌なこと、面倒くさいことは逃げてしまう」という生き方で、かわしたでしょうが、今回はかわそうとは思いませんでした。私に向かって伸びてくるこの二つの縁が私に何かをうながしているように思えたからです。この縁は、はるかに自分の思いを超えていると直感しました。僧侶になったことも、無関係と記憶の隅に追いやった父の葬儀に改めて息子として参列したことも、僧侶にしてもらった住職より、一旦は帰ることを断られはしたが、是非、寺へと呼び戻されることも、これら今回の出来事全てが、自分に縁を思い知らしめる縁であったかと気付いたのでした。
成人式の頃を思い返しても、今おこっている様々なことは、二十歳の人生設計には無かったことばかりです。でもこうして生きていることは紛れもない事実です。縁によって生かされていると実感しました。こうして、千葉のお寺に行くことが決断出来ました。今日限りで遊林寺を退職するのは「離れゆく」縁だと考えれば、縁とは「自分を中心に広がる」とか「私に向かってくる」とかではあらわすことの出来ないはたらきだと思いました。そのはたらきこそが阿弥陀の縁だと身にしみました。

法話:工藤智弘
ダイジェスト:松田一彦
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