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帰敬式

昨年11月にご門徒さんが親子で帰敬式を受式されました。
写真掲載の許可をいただいたので帰敬式の流れに沿ってその様子をお伝えします。


剃刀の儀
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執行の辞
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法名授与
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誓いの言葉
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勤行
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法話
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お二人が新たに遊林寺仏弟子となられました。おめでとうございます。
今後も一緒に真宗門徒として聞法に励み、真宗の生活を送っていきましょう。



遊林寺では帰敬式受式の相談を随時受け付けています。

帰敬式でお授けする法名は、事前にご相談の時間を設けますので、ご本人のお考えや希望の文字などお聞かせ下さい。
なお、命終の後にやむを得ず法名をお授けすることが多い今日の状況ですが、本来の意味から考えて生前に法名をいただくことが浄土真宗一門の基本と考えています。
どうぞ、ご相談ください。


リンク
法名とは→ こちら
帰敬とは→ こちら


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平成26年 報恩講 法話ダイジェスト


講題は『出会い』というお話で、祖父江文宏先生との「出会い」を例に「出会う」ということの大切さと、出会うことを通して、その結果どのようになっていったかを、具体的なエピソードを通して易しくお話しいただきました。
はじめての祖父江先生との出会いは、約30数年前、靍見先生が幼稚園教育にたずさわるなかで、大谷保育協会の講習に出席するようになり、そこで祖父江先生と出会われたそうです。
当時、通常の幼稚園教育の内容の多くは「小学校に入っても幼児が困らないように」つまり「・・・のための教育」が中心であったが、大谷保育協会は「・・・のための教育」ではなく、「ひとのいのち」を中心とする教育であった。靍見先生には先ず驚きであった。「ひとのいのち」を中心とする教育とは、「誰もが、時代と、国を越えて通用する考え方と行動」を学ぶということにあり、靍見先生はそこに「真実があるのだ」と思われたのでした。
靍見先生にとっては、従来とはまったく違う「教育」を学ぶなかに、後に名古屋の児童養護施設「あかつき学園」の園長となられる祖父江文宏先生と出会われるのです。その祖父江先生との長い交流の中で祖父江先生のお話で、今でも印象に残っているお話の紹介がありました。そして靍見先生はそのお話を通して、初めて、自身の考え方と生き方を根本から問われることとなったということでした。

祖父江先生が「あかつき学園」就任の当日、出勤途上で学園生に「ぶどう」を勧められ、彼らと一緒に「ぶどう」を食べながら園に向かっているところ、ぶどう園の人が追いかけて来て「ここは、泥棒を教える学校か?」と怒鳴られてしまう。新任園長は園生らによって試されたのである。「盗んだことを知らないで食べた。」とは答えられない。何故なら、『園生らは同じ「盗んだぶどう」を一緒に食べてくれた「仲間」として新任園長を歓迎したかったのだから』。ここで園長ひとりだけ言い訳したら園生らの信頼を得ることが出来ない。かといって、ただ謝っただけなら「学園は泥棒を教えている」と先方に受け取られかねない。祖父江園長は園生らと相談の上、後日、園長、園生ら共々にぶどう農家を訪れ、ぶどうを盗んで食べたことを素直に謝り、ついては、これから先、週一度、農家のお手伝をすることで許してもらった。毎週のお手伝いが3年続いた或る日、ぶどう農家さんから、園生のみなさんで食べて下さいと大量の「ぶどう」が届いたというお話であった。

靍見先生は、『似たような経験は誰にでも起こり得るし、もしかしてすでにあるのではないでしょうか。私(靍見先生)も同じ場面に立たされたら、その時は、何の考えも無しに「私は盗んだ物とは知らずに食べさせられた。」とつい答えてしまうのではないか』とお話しされました。
自分の正当性を先ず押し出し、それによって、周りにかけた迷惑に気付かず、自分にとって都合の悪い結果はすべて他人へと責任転嫁し、「自分は善人であり続ける」生き方の安易さに流され、知らず知らずに回りの人と疎遠になっていく、そんな普通の生き方が改めて問われたのでした。靍見先生は、周りのひと誰とでも共に生きるためには、縁ある人と、どう向き合うかと、周りの人と共に暮らしたいという願いを、どう実践すれば、本当に共に生きるというこが実現するかを祖父江先生のお話から学ばれたとのことです。

先生のお話をお聞きし、現代の「出会い」のなかで、お互いに相手を目の前にしながら、「出会えていない」という深刻な問題が潜んでいると思いました。それは相手への無関心さらにお互いにとって都合の良い関係―傷つきたくない症候群―が、互いに傷つけあうことは無くても、真に「出会う」ことを難しくしている。その難しくしているこころを探ると、むさぼり、こだわり、いかり、ねたみ、そねみのこころ等々の普通の生き方がそこに見えてくる。こうした普通の生き方の中に、出会いをはばむこころ(どこまでも自分にとって都合の良い関係という条件を貫こうとする根深い根性)が、私にもまた根をはっていることを思い知らされる。普通の生き方の中で、“本当にこれで良いのか?”と、一歩踏みとどまらされ、自分は善人ではなかったと気付かされること無くてしては、真の出会いは無いのだと、先生のお話をお聞かせいただきました。

法話:靍見 美智子先生(西教寺坊守)

ダイジェスト担当:松田一彦

平成27年お焚き上げ法要

平成27年1月3日午後 お焚き上げ法要が行われました。

不要になったお位牌をお持ちいただき、ご家族の自らの手でお焚き上げしていただきました。

寒い中多くのご家族にお参りいただきました。

以下、法要の様子
読経後、お焚き上げをしました。
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平成27年 修正会

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

遊林寺では毎年元日から3日間、新年のお参りをされる方に修正会としてお寺を開いています。
今年も多くの方にお参りいただきました。

以下、修正会の様子
お参りした後、住職・副住職がご挨拶させていただきました。
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