平成26年 盂蘭盆会 法話ダイジェスト

今回の盂蘭盆会の法話は、横浜別院の法務員、家本久和師です。
テーマ「お盆と現代社会」
 
浄土真宗におけるお盆とは、先祖を迎える日ではありません。
お盆という行事を通して、亡き人からの教えや仏法を聞いていくご縁を頂く日です。
ですが、お盆ということが現代社会ではニュアンスが変わってきています。
お盆=お休みというように、楽しいイベントの一つになってはいないでしょうか。
そこになくてはならない亡き人を想うということが抜け落ちています。
その様なお盆を過ごすことは、亡き人にとっても、私たちにとっても悲しいことです。
ぜひ一緒に仏法を聞き、お盆を大切なご縁としていきましょう。
 
 
 
さて、ある先生は現代社会について『現代では時間、空間、仲間、この三つが抜け落ちて崩壊しているのではないか。(三間の喪失)』と言われました。
例えば、今の若い人たちが時間を費やすのは、携帯電話でのやり取りです。
電話やメールなどを使用し、直接会わずとも、相手とやり取りが出来てしまいます。
ですが、そうなりますと人と直接会って話すことがないから、一方的な話し方になりますし、自分の言いたいことだけ言って、相手の話を聞かない。
それはまさに自己中心的な生き方と言えるでしょう。
ですから、対人関係に不慣れになり、真の関係が失われていくのです。
今の人間社会は便利になりすぎています。
家に居ながら買い物が出来ます。
便利すぎることによって、人と人の触れ合いがなく、関係が築けなくなっているのです。
 
親鸞聖人は、『歎異抄』の中で「親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり」と言われています。
親鸞聖人にとっては、ご自身の師である法然上人の教え以外、他に信ずるものがないということです。
法然上人との出会いが、人生を決定づける大切なご縁となっているということです。
それが私にとっては、大学での先生や友人との出会い、浄土真宗の教えを伝えてくださった方々との出会いだと思います。
その人智を超えた力によって、今私はここにいるのです。
私の思いを超えた世界から、ご縁を与えられたとも言えます。
これを他力本願と言います。
この言葉は、世間一般で、他の誰かが助けてくれる、或いは神頼みの意味合いで使われています。
ですが、そうではなく自分の思いを超えた世界から与えられた出会い、ご縁のことを言います。
今ここにいる自分は、自分の力で立っているのではありません。
自分の思いを超えた願いを受けて、ここに立っている自分がいるのです。
 
また「人事を尽くして天命を待つ」という言葉がありますが、昔の浄土真宗のお坊さん、清沢満之師は次の様に言い換えています。
「天命に安んじて人事を尽くす」
分かり易く言うと「安心して迷える道に立つ」という様に、私は頂いています。
私たちは、自分が迷っているということに自分では気付けません。
自分は大丈夫と思っているのでは駄目です。
自分を主体にするのではなく、自分の思いでは推し量ることが出来ない他力の願いによって、初めて人事を尽くすことが出来るのです。
飽くまで自分が迷っているという自覚がないと、この言葉は響いてきません。
浄土真宗は、思い通りにしたいという迷いを照らす教えです。
決して、自分の思い通りになるという教えではないのです。
 
亡き人と出会っていくお盆は、亡き人を通して私たちが教えを頂いていく場であります。
教えから問われてくる、私たちの生き方について、今一度振り返る。
自分は大丈夫という思い込みに囚われた姿を明らかにし、自分がここにいるのは、自分の思いを超えたご縁によるものだと教えてくださるのです。
そのことに気付かせて頂いた時、私たちは自分が安心して迷える道に立ち、歩ませていただける身となるのです。
 
担当:工藤

平成26年 新盆法要

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平成26年8月3日
遊林寺新盆法要が厳修されました。
朝から暑い一日でしたが、多くの方がお参りくださいました。

第1部
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第2部
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第3部
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第4部
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