和讃

仏教讃歌の一種。
親鸞聖人は、日本仏教を、特定の身分・階級の人々に奉仕する宗教としてではなく、一切衆生を平等に救うための教えとして、生涯、庶民の間にひろめ続けた。
聖人は、その信仰と思想を、七五調の詩にし、数多く書きのこした。
お経や正信偈などの漢文、漢讃に対して和讃は、専修寺本の和讃の左訓に「やわらげほめ」と施してあるように、単なる和語の讃嘆ではなく、経釈の意を和らげてこれを心得しめたいという意図であったと窺える。

その和讃を、蓮如上人が開板され、三帖(さんじょう)和讃としてまとめられたものが、大谷声明として勤行に用いられている。

御文

本願寺八世の蓮如が、門徒に書き与えた手紙体の法語。
浄土真宗の要義を簡潔かつ平易に説き、真宗の普及に果たした役割は極めて大きい。

その数は真偽未決のものを除いて221通を伝え、このうち80通を五帖(ごじょう)に編集して『五帖御文』といい、五帖以外のものを『帖外御文』という。
真宗寺院においては、お朝事、法事等、御仏事の最後に拝読される。

三帰依文

仏、法(仏の教え)、僧(法を聞くもの)の「三宝」に帰依(信順)することを誓った文。
出家・在家を問わず、仏教徒の受持しなければならない誓いである。

明治維新の廃仏(はいぶつ)毀釈(きしゃく)の状況下で、護法運動に挺身(ていしん)した大内青巒(せいらん)という仏教学者が、仏典にもとづいて作成されたものと言われている。

※遊林寺の聞法会では、法話の前に、一堂唱和しています。

人身(にんじん)受け難(がた)し、いますでに受く。
仏法(ぶっぽう)聞き難し、いますでに聞く。
この身(み)今生(こんじょう)において度(ど)せずんば、さらにいずれの生(しょう)においてかこの身を度せん。
大衆(だいしゅう)もろともに、至心(ししん)に三宝(さんぼう)に帰依(きえ)し奉(たてまつ)るべし。
 自ら仏(ぶつ)に帰依したてまつる。
 まさに願わくは衆生(しゅじょう)とともに、大道(だいどう)を体解(たいげ)して、無上意(むじょうい)を発(おこ)さん。
 自ら法(ほう)に帰依したてまつる。
 まさに願わくは衆生とともに、深く経蔵(きょうぞう)に入りて、智慧(ちえ)海のごとくならん。
 自ら僧(そう)に帰依したてまつる。
 まさに願わくは衆生とともに、大衆を統理して、一切無碍(むげ)ならん。
無上甚深(じんじん)微妙(みみょう)の法は、百千万劫(ごう)にも遭(あい)遇(あ)うこと難し。
我いま見聞(けんもん)し受持(じゅじ)することを得たり。
願わくは如来の真実義を解(げ)したてまつらん。

南無阿弥陀仏