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帰敬とは

帰敬式 (ききょうしき)

仏陀の教えを道として生きるものとなる、決断の儀式。

御本尊、親鸞聖人の御影前に座し、「剃刀(ていとう)の儀」を行なった上で、法名を受ける。
「剃刀の儀」とは、髪をおろすことをかたどったもので、「おかみそり」ともいわれ伝承されている。
髪をおろすということには、虚飾(きょしょく)の生活を離れて、真実の人生を求めるという意味の決意が込められている。
自我中心の生活が迷いであることに目覚め、仏法を依りどころとして生きる者となるという人生の方向転換の象徴として「剃刀の儀」を行い、法名を受ける。

まさに人生における第二の誕生といわれる意義をもつのが、この「帰敬式」である。


「法名」について、詳しくはこちら
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法名とは

法名とは、「釈」の字が冠(かん)せられた二字のもので、仏弟子(仏教徒)としての名のりである。
すなわち、南無阿弥陀仏の法をあきらかにされた仏陀釈尊の教えを聞いて生きる者となるという名のりである。
その法名をいただくということは、生活の真っ直中において、法(道理)に背き続ける我が身をあますところなく照らし出す真実をこそ宗(いのち)として歩みはじめることであり、念仏の信心によって開かれる人生の夜明けである。

法名は生前に受けるものであるが、受けないうちに死亡した者には、葬儀の折に授けられ、仏弟子とみなされる。

平成25年 報恩講法話ダイジェスト

今回の報恩講の法話は、横浜市中区にあります西教寺坊守、靍見美智子師がお話しくださいました。
 
 煩悩というと除夜の鐘を思いだします。
 除夜の鐘は108回叩きますが、それは昔から人間には、それぞれ108の煩悩があると言われているからです。
 私たちは煩悩を煩わしいと思います。
 煩わしいという事は、心の負担になっているということです。
 その負担を、自分で背負っているのか、それとも誰かに背負わされているのか。
 そして何を背負っているのか。
 その中味をちゃんと見ていく必要があります。

 日常の中では煩悩という言葉は、珍しいものではないと思いますが、この煩悩の正体を発見されたのは、お釈迦さまです。
 お釈迦さまのお悟りになったことが、教えとして伝わってきたのが仏教ですが、ではお釈迦さまはどんなことをお悟りになったのでしょうか。
 お釈迦さまは、私たちの身は、縁があるから老いていき、縁があるから病み、そして縁があるから、いつかは必ず死ぬ身であるという事実をお悟りになられました。
 このお悟りの内容を、「縁起の法」と伝えられてきました。
 この世の全ては、縁によって起こっているということ、私たちもまた、縁によらなければ、今ここには存在しないのだという道理を悟られたのです。
 そういう命を生きているのが、私たちです。
 それなのに私たちは、その縁が自分に都合が悪いと、そのことを正しく受け止める事が出来ずに、悩みとしてしまうことが煩悩なのです。
 この事実を正しく見ないで、いつまでも若くて元気で生きていきたいと、そのことに執着する。
 その執着する自分に、悩む原因があるのだとはっきりと明らかにしたのです。

 私たちの心には、様々な煩悩がありますが、その中でも特に大きな煩悩が三つあります。
 一つは、欲望(貪欲)ということです。
 あれが欲しい、これも欲しいという自分の思いが、どんどん膨らんでいきますね。
 もう一つは、憎しみ(瞋恚)ということです。
 自分にとって嫌なことがあると、人やその物事を憎みます。
 縁によって起こったことに対して、考える事が大切なのですが、中々そこまで至らずに、表面のところで憎しみになったり、怒りになったりします。
 それからもう一つは本当のことを知らない(愚痴)ということです。
 縁でこういう風になっているのに、縁起という道理を知らない為、そのこと自体をどうにかしようとすることです。
 この三つが私たちを悩ます煩悩の根源だと言われています。

 煩悩に悩まされている私たちは、自分の思い(自我)に囚われています。
 ですが、そんな私たちのいのちの奥底には、悔いなく生きようという、いのちの願いも同時に流れているのです。
 それなのに私たちは、ほとんどが自己主張の思いである自我を優先します。
 ですから、いのちの願いを感じられずにいます。
 こういうお話を聞いた時、それぞれ思う所が有ると思いますが、それでも中々教えと自分の思いが重ならず、結局は自分の思いを優先してしまうのです。 

 自分の思いを優先して仏教を学んでいくと、よく起こる間違いがあります。
 仏教を学ぶと、良いお話が聞けるから、自分が良い人になれる。
 お話を聞いて、その内容を自分に当て嵌めるのではなく、他人のことを引き合いに出して考えてしまう。
 こういったことが、よく起こる間違いです。
 そういうことではなく、仏教とはどこまでも自分を見つめていく、他人は問題ではなく自分を振り返っていくことが大事なのです。

 お釈迦さまのお悟りは、私たちに煩悩が有ったとしても、その煩悩に囚われずに生きられるようになるということです。
 日々の生活の中に、煩悩が108個あることを知る。
 自分の思いだけで、物事を判断するのではなく、何が正しくて、何が間違っているのかという事を考える。
 自分の問題を誤魔化すのではなく、はっきりと見ていく。
 いのちの願いである、悔いなく生きようとする意思を自覚していく。
 それがお釈迦さまの伝えたかったお悟りの内容ではないでしょうか。 
                                                                担当:工藤

平成25年 報恩講

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平成25年10月20日 報恩講が厳修されました。

遊林寺開山以来初めての雨の報恩講となりました。
朝から冷たい雨が降り続き、とても寒い一日でしたが、多くの方がご参詣されました。

中区西教寺坊守 靍見美智子師より御法話をいただきました。
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雨の中参詣出来なかった方々も後日お参りくださいました。

今年も無事に報恩講が勤まりました。
おみがきを始め、境内の掃除等当日までお手伝いいただきました方々へこの場を借りて御礼申し上げます。

おみがき奉仕

平成25年10月16日 おみがきが行われました。

直前まで台風の風雨を心配していましたが、その中を多くの方にご奉仕いただきました。
ありがとうございました。

初めての方も経験者の方から教えてもらい一つ一つ丁寧にみがいていただきました。

おみがきの様子の写真を載せていきます。

水洗い・薬液につけておみがき
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仕上げは布と新聞紙でおみがき
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おみがき後、正信偈をお勤めし、副住職、住職よりお話しをいただきました。
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最後に内陣のお掃除を皆でしました。
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おかげさまで多くの方にご奉仕いただき、ピカピカになりました。
ありがとうございました。

毎年、報恩講の前におみがきをしています。
また来年も宜しくお願い致します。 恵美里

平成25年 おみがき奉仕

平成25年10月16日 遊林寺本堂仏具のおみがきが行われました。
当日の朝まで台風による風雨で心配しましたが、昼には雨も上がり多くの方にご奉仕いただきました。
御礼申し上げます。
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詳細は日記をご覧ください。

平成25年 秋季彼岸会

平成25年9月22日 

秋季彼岸会が厳修されました。
コピー ~ IMG_3149

コピー ~ IMG_3158

勤行後、工藤智弘(遊林寺法務員)がお話させていただきました。

本堂の外まで溢れるほど多くの方にお参りいただきました。
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