第20回 佛教入門精舎「聞」

コピー ~ IMG_2536

平成24年11月25日 
第20回佛教入門精舎「聞」が開催されました。(今回の会場:遊林寺本堂)
随時、先生への質問を募集しております。 お問い合わせ または、yuurinji@gmail.comまでご連絡ください。

法話の時間~葬儀について~

コピー ~ IMG_2501

平成24年11月11日 住職、副住職、葬儀社の方から葬儀についてのお話を頂きました。


平成24年 報恩講 法話ダイジェスト 

予定されていたご講師が体調不良の為、代わりに私、住職がお話しさせていただきました。

「私たちが向かおうとしている世界」
私たちには鮮明に意識していなくても知らず知らず向かおうとしている世界があるようです。
それは、どんな世界かと言うと自分の思い通りに成るような世界です。
自分の思う通りになったらどんなに幸せかと思っています。
仏教では自分の思い通りに成る世界を天の世界といいます。すなわち、私たちが求めているのは天の世界に暮らす(天人に成る)ことだと言えます。
しかし、残念ながらその天の世界を懸命に求めてもなかなか自分の思い通りには成っていかない現実があります。
そんな中で私たちは思い通りにならないことに悩み苦しみます。
私たちは思い通りに成らないことに何故、苦悩するのでしょうか?
私たちが大前提にしているものは、私たちが思い通りにしたいと思えば思い通りに成るはずだ。それなのにそれがその通りにならない。これはおかしなことだ。という私たちの自分に対する思いがあるようです。
思い通りにしたい(天人に成りたい)と思えば思うほどそうならないことへの悩みも消えません。思い通りに成らないことに愚痴をこぼし、相手を妬んだり憎んだり恨んだり…。
私たちの苦しみはくりかえされていきます。
そして、やがて歳を重ねた経験を経て、天人に成りたくても成れない自分の姿に嘆き悲しみ、諦めと誤魔化しの色を濃くしていきます。時にはふっと問いたくもなります。「思い通りにならないとしたらいったい何の為に生きているのか…?」と。それでも、思い直して「ちょっとは幸せも感じたこともあるし、まぁ人生こんなものか…。」などと自分を納得させようとしたりします。

しかし仏教では私たちが目指して、そしてそう成れなくて苦しんでいるその天の世界を迷いの世界と教えています。
その迷いとは、たとえ思い通りになったとしても満足し続けない迷いです。
ここで私たちが慎重に考えなくてはならないことは、浄土に生まれようと願うことと天を目指すは似たようで全く違う歩みなのだということです。
浄土に生まれるとは迷いの姿を仏から照らし出され、自分の姿を自覚し受け止め続けるよう限りなく奥深い願いが歩みとなる世界に生まれることと言えます。しかし、これは自分の力でできるものではありません。南無阿弥陀仏は私たちが私たちに目覚めるようにと仏が用意してくれた言葉です。私たちの本当の満足を願って…。
それなのに、悲しいかな南無阿弥陀仏まで自分の思い通りに成る為の道具にしてしまおうとしていませんか…?        
                                                            担当:住職

平成24年 報恩講


コピー ~ DSC_0049


2012年10月21日 報恩講が厳修されました。
コピー ~ DSC_0047 筆:住職

今年も多くの方がお参りくださいました。