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和讃

仏教讃歌の一種。
親鸞聖人は、日本仏教を、特定の身分・階級の人々に奉仕する宗教としてではなく、一切衆生を平等に救うための教えとして、生涯、庶民の間にひろめ続けた。
聖人は、その信仰と思想を、七五調の詩にし、数多く書きのこした。
お経や正信偈などの漢文、漢讃に対して和讃は、専修寺本の和讃の左訓に「やわらげほめ」と施してあるように、単なる和語の讃嘆ではなく、経釈の意を和らげてこれを心得しめたいという意図であったと窺える。

その和讃を、蓮如上人が開板され、三帖(さんじょう)和讃としてまとめられたものが、大谷声明として勤行に用いられている。
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御文

本願寺八世の蓮如が、門徒に書き与えた手紙体の法語。
浄土真宗の要義を簡潔かつ平易に説き、真宗の普及に果たした役割は極めて大きい。

その数は真偽未決のものを除いて221通を伝え、このうち80通を五帖(ごじょう)に編集して『五帖御文』といい、五帖以外のものを『帖外御文』という。
真宗寺院においては、お朝事、法事等、御仏事の最後に拝読される。

歎異抄

歎異抄(たんにしょう)
 
親鸞聖人滅後の異端を(なげ)いた書物。(親鸞滅後二十年程して成立したものか。)
著者は、親鸞面授(めんじゅ)の弟子である(ゆい)(えん)とするのが定説となっている。
『歎異抄』は大きく分けて、三つの部分から成っている。
第一は「師訓篇(しくんへん)」と呼ばれ、信心を率直に語られた聖人の言葉が、十ヵ条にまとめられている。
第二は「歎異篇」と呼ばれ、著者が見聞して深い悲しみをおぼえた、聖人の仰せに背く見解が、八ヵ条、取り上げられ、批判されている。
そして第三は、ふつう「後序(ごじょ)」と呼ばれているが、その中には、「信心の同一性」や、「聖人の常の仰せ」など、『歎異抄』全体を貫くような、意味深い聖人の信心の吐露が記されている。
さらに、著者に動いた「歎異する心」が切々と記され、読む者に深い感銘を与える述懐(じゅっかい)となっている。
それでこの「後序」は、単なる「あとがき」ではなく、「述懐篇」として捉えるべきである。
 
※遊林寺「聞法会」では、この『歎異抄』をテキストとしています。

正信偈

正信偈
 
正式には「正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)」といい、「正信偈」と略称される。親鸞聖人の主著『(けん)浄土真実教行証文類(もんるい)』「行巻(ぎょうのまき)」の末尾にある七言百二十句の偈文(げもん)
大別して二段から成っており、初めの段は、依経段(えきょうだん)といって、『大経』に明らかにされている本願を信じ、念仏を正信する道の広大なることを讃嘆している。
後段は、依釈段(えしゃくだん)といい、七高僧が教えた本願念仏についての解釈の要点を掲げて、その徳を讃嘆している。
親鸞聖人は知恩報徳(ちおんほうとく)の思いから、この偈頌(げじゅ)を制作したと述べている。
本願寺八世蓮如以来、朝夕の在家勤行にも広く読誦されている。

遊林寺同朋の勤行はコチラ

浄土三部経

浄土三部経
 
仏教は教えを(むね)とする人間の生き方を根本問題とするものであり、必ず依りどころとする経典をもつ。
浄土真宗にあっては、まさしく「浄土三部経」がそれであり、『仏説無量寿経』・『仏説観無量寿経』・『仏説阿弥陀経』の三経である。
この三部経の選びは親鸞によるものではなく、親鸞が「本師源空」と仰いだ法然によるものである。
この三部経は単に浄土を表現した経典を集めたものではなく、それぞれ独自の意義をもって、人々の往生浄土の願いに応えてきた経典である。
 
 
仏説無量寿経
 
『大無量寿経』または『大経』とよばれることもある。(「大」とは、「大いなる」「真実の」という意味)
親鸞は自身の主著『教行信証』に、
  それ、真実の教を(あらわ)さば、すなわち『大無量寿経』これなり
といい、三経の中でもとくに『仏説無量寿経』をもって根本教説としている。
『仏説無量寿経』は万人普遍の救いを成就すべき真実の法を開顕する経典である。
そこでは、万人を平等に救済する法は阿弥陀仏の本願であり、その本願のこころを具体的にあらわすのが南無阿弥陀仏の名号であると説かれている。
したがって『仏説無量寿経』は「法の真実」をあらわす経典である。
 
仏説観無量寿経
 
略して『観経』ともよばれる。
万人を平等に救済する本願の名号によって、まさに救われるべき人間を浮き彫りにした経典である。
そこに説かれている王舎城の悲劇のなかで、苦悩する凡夫の身をさらけ出した韋提希(いだいけ)は、
阿弥陀仏の本願に目覚めなくては生きることも死ぬこともできない人間そのものとしてあらわされている。
したがって、阿弥陀仏の本願名号によって救われるものを苦悩する凡夫として明らかにする『仏説観無量寿経』は、「機(人間)の真実」をあらわした経典なのである。
 
仏説阿弥陀経
 
略して『小経』ともよばれる。阿弥陀仏とその浄土の()(どく)(しょう)(ごん)を説き、その浄土に生まれる道として、ただ念仏の道を教え、この念仏の信心が十方の諸仏によって証誠(しょうじょう)され、念仏する人が護念されることを説いている。したがって『仏説阿弥陀経』は、苦悩の衆生(機)に、本願のこころ(法)があらわれる相を説いた経典である。

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